休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

【やってみた】考えながら飛んでいたのでは遅いので - Jump one

巷で話題の暗闇フィットネス(が正しいのかな?)。ボクシング、自転車など様々なバリエーションがありますが、トランポリンを使うのが Jump one です。

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(後から思うと的確に特徴がまとまった写真)

暗闇×音楽×照明のハイテンションな45分間エクササイズが日常のストレスを吹き飛ばし、ダイエットやシェイプアップ効果を期待できます。 

(公式HPより)

要はクラブみたいなフロアに個人サイズのトランポリンが並ぶ中を、45分間音楽に合わせていろんな形で飛んでいるうちに、がっつり汗もかきながら、筋肉痛にはなりづらいのにインナーマッスルも鍛えられて、しかもダンサブルなミュージックに合わせて飛ぶのはストレス解消にもぴったり!というモノです。

大きく Rythm Jump、Dance Jump、Boot Jump の3つのプログラムに分かれており、その中でもレベルが1~3まである。Rythm Jump が基本で、あとはその名の通り Dance Jump になるとそれっぽいステップが増えたり、Boot Jumpになるともっとエクササイズ要素が強くなったりする(らしい)。

で、こちら全国9か所にスタジオがあり(2018年8月現在)、場所によっては女性専用だったりするのですが、吉祥寺は男性も可、ということで、体験レッスンに行ってきました。

 

中は基本撮影禁止なので、写真は無く、もう言葉で伝えるしかないのですが、地下1階の入り口からもう1つ階段を下りてスタジオに入ると、そこは戦いのステージへ続く控室的な雰囲気。すでにロビー中央のロの字型のベンチには準備を整えられた方、静かにウォーミングアップをする方もいつつ、受付で体験レッスンである旨を名乗ります(会員だと、カードをタッチするだけで受付完了なようです)。

その場でバスタオルとフェイスタオル、お水、そして体験レッスン受講者であることを示すリング(ホワイトバンドみたいなやつ)を渡され、更衣室へ。男性側は奥にシャワーも2台あって非常に清潔。ちなみに別途料金でウェアも借りれますし、靴下も履いた状態でやるのですが、滑り止めの付いた専用靴下も売ってくれます。手ぶらでいっても大丈夫

そして着替え終わってロビーに戻ると、インストラクターの方から声をかけられ、挨拶とともに参加のきっかけや日頃の運動習慣などの確認とともに、簡単な内容の説明があります。この時はそこまで勧誘はされないのですが、その人の体力的な部分なども少し見極めがあるのかもしれません。まぁ中肉中背とはいえほとんど運動習慣がないと答えた私はどんな風に見えたのかはわかんないですが……。

 

そして開始のおよそ10分前、ついにステージの幕が上がり、トランポリンが並ぶスタジオへ入ります。どの位置のトランポリンで飛ぶかは事前に予約時に選ぶことができて、私は隅っこのほうへ……自分の運動神経を思うと、いくら暗くてもインストラクターさんと誰かの視線の間に立つなんて、怖くてできません……。

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さて、自分のトランポリンに到着したら、まずは音楽が無い状態で動きの確認が入ります。私が参加したのはベーシックなRythm Jumpの簡単なやつだったので、基本のジャンプから始まって4種類ほど。このとき、インストラクターさんとは別の方も1人いらっしゃって、飛び方をレクチャーしてくれます。

すでにリズムが怪しい感じがあったのですが、飛び方のポイントとしては身体全体で飛び上がるのではなく「腹筋を使って下半身を持ち上げる感じ」らしい。いわゆる冒頭の写真にあったような、アレです。この飛び方をすることによって、インナーマッスルが鍛えられ、ふくらはぎとか太ももとかの筋肉痛にもなりにくいらしい。姿勢改善にもつながるんですって。確かにね。

 

レクチャーは5~10分ぐらいでしょうか。「私もだんだん日本語を減らしていきますから、皆さん動きを見ながらついてきてくださいねー」というちょっとひっかかる説明のあと、インストラクターさんの立つステージにあるPA卓が操作され、いよいよ照明ダウン、音楽が始まります

そしてスポットライトが当たるステージ、レーザーのような照明が室内を照らし、ミラーボール…は無かった気がするけど、とにかくミュージックスタート!!と思ったらいきなりレクチャーになかった動き!そんな!!えっ、あっ、と戸惑いつつ、ついていくのですが、その時点でワンテンポ遅れている感じが分かります。

そこから45分。様々な曲のテンポに合わせて飛びます。途中でダンベルを使ったエクササイズもありました。はじっこのほうにしたので、インストラクターさんがちょっと遠いですが大丈夫。壁の鏡がうまく反射してどんな動きをしているかはよく見えました(逆にこちらのほうはあんまり見えなかったらしい。インストラクターさん的には反省ポイントだったようですが、私は一安心……)。が、いかんせん自分のセンスのなさを感じるのは動きを頭で考えながら飛んでしまうこと。慣れもあるんでしょうが、なんとなく全体のテンポからも遅れ、みんなが4回飛んでるところ、なんとなく3回ぐらいしか飛べてないような感じです。そんな感じで徐々に高まるフロアのテンションに比べて妙にあれこれ考えてなってしまっては、「Are you ready ⁉」 と言われても「Hoooo!!」と声を上げ、レスポンスするよりも、(´・ω・`)知らんがな」というツッコミが勝ってしまいます。いかん、これではストレス発散ができない……。

そう、考えながら飛んでしまった時点で負けなんです。周りなんか気にせず、うまく飛べてることを気にするよりも、場の空気と一体になってすべてを昇華する……!そんな気持ちで飛ばなければ。もちろん冷静に分析すれば、テンポが遅れてるのはレクチャーにあったように下半身だけを持ち上げることができず、全体で飛んでるから1ジャンプの時間が長くなってしまってるからでしょう。会員になってる人にも聞いてみたけど、こればっかりは慣れもあるので、いきなりやるのは無理だと割り切って、気にせず飛ぶべきなんです。でも、負けてしまいました……。終わった後、シャワーを浴びる前のアンケートを記入しているときも一生懸命勧誘されましたけど、この一体感についていけなかった挫折感を思うと、俺、来週も飛ぶよ!とは言えなかった……。

 

 

実際のところ、周りも暗いし、みんなインストラクターさんを見て必死に飛んでる中で、周りなんか気にしてる余裕もなさそうです(実際、周りがどうこうというよりは自分のことで精一杯でした…)。だから何も心配することなく、この瞬間を楽しめばいいじゃない、というインストラクターさんの声が聞こえるようですが、もうこれは自意識の問題です。おそらく。あの一体感に入れる自信が無いです。

よってもって、私は家で自分と向き合いながら、日々筋トレやストレッチをちゃんと続けようと思ったのでした。いいとか、悪いとかじゃなくて、向き不向き。自分を知れる、いい体験でした

 

ちなみに筋肉痛はほとんど無かったです。ちょっと心地よいハリがあるぐらい……あとなんとなくお腹に力が入って、姿勢を気にするようになったというか、だからホントに続けていけば効果はあると思うんですよ!会費もそこそこするので、お金と、自意識に余裕のある方はぜひ。

【読書】生活の発見/この眼鏡はいつからつけていたんだっけ

大学の講義の1回目に、言葉の歴史も含めた辞書載っている「History」という言葉をスタートに、「物語」 について考える、みたいな話があったのを思い出す。「三千年の歴史の中から学ぶことができないものは、その日暮らしの生活を送っているに過ぎない」というゲーテの言葉を帯に冠するこの本は、まさに歴史を振り返りながら、今自分たちが物事を見ているフレームを見つめなおす、発見の本。

 

生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅

生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅

 

 スタートは「愛」についてから始まる。曰く、古代ギリシアには6つの愛があったという。それは情熱や欲望を伴う「エロス」であり、友愛と訳される「フィリア」であり、遊びを伴うような「ルードゥス」、成熟した愛である「プラグマ」、慈善の愛としての「アガペー」、そして自己愛というべき「フィラウティア」と続く。今話しているその「愛」は果たしてどの「愛」なのか?

決して厳密に歴史を読み解いていく、というよりは、現代の私たちが抱える感覚・問題意識に近いところで、それがどう形成されてきたのかを、歴史と地域を超えて、紐解いていく、ある種エッセイに近いような本。歩く辞書のような、博学な歴史学者の人が「じゃあ今日はこの話を考えましょう」と静かに暖炉の前で話しているのを聞いているような感じだ(読んでいた時期はもうほんとに暑くて暑くてたまらない時期でしたが)。

 

自分が見ている世界を見るために、いつの間にかつけていた眼鏡の度を確認するために、歴史のはしごを上る。そして巨人の肩の上に立つための一冊。

【映画】ザ・スクエア 思いやりの聖域/自分だけ贖罪しようなんて許さない

カンヌ映画祭パルムドール受賞、スウェーデンの社会風刺映画。スウェーデンの映画ってそう言えばイメージ無い。

www.transformer.co.jp

www.youtube.com

現代美術館のチーフ・キュレーターであるクリスティアンは、シュッとした感じのナイスミドル的な雰囲気。美術館でレイヴパーティーみたいなのを開いたりして、痛飲したり、女性と行きずりの関係になることもしばしば。そんな彼が次の展覧会で展示すると発表したのが映画には登場しないアリアスというアルゼンチンの作家による「ザ・スクエア」。地面に描かれた正方形の作品で、その中は「思いやりの聖域」。「すべての人が平等の権利と義務を持つ」とされる。

ある日街中でいきなり助けを求める女性と、それを追いかける男性の騒ぎに巻き込まれて財布とスマホを盗まれたあたりから、彼の運命は暗転していく。

GPSで突き止めた犯人の住むマンション。全戸に脅迫めいた手紙を配りましょう、なんて部下のアイデアを採用し、無事帰ってきたのだけれど、当然関係ない家にも配ったもんだからそれをきっかけに波紋が起きたり、その波紋に巻き込まれた中でよく確認せずに通した展示会のPR企画は炎上マーケティング。パーティきっかけで関係を持ってしまったジャーナリストは家にチンパンジーを飼う変わり者で、美術館のパーティーでは野生のゴリラ的なパフォーマンスをしているアーティストがが何の前触れもなく限度を超えたパフォーマンスを行って……と、まぁ色々起きていって…という話。

 

一つ一つが連鎖していって、細かなところでいろんな問題が浮き彫りにされる。わかりやすいところでは動画の炎上マーケティングの話だったり、いろんなきっかけになる物乞いだったり(スウェーデンにはあんなに物乞いがいろんなところにいるんだろうか)、別れた妻は出てこないし、娘はなんか問題抱えてそうだけどはっきりしないし、そもそもザ・スクエアの作者も出てこない。謝罪のビデオは届いたのかわからないし、とてもじゃないけどそんな会見ですべてが収まるレベルの炎上じゃないけどそれ以上は描かれず、すべては回収されきれないまま、クリスティアンの贖罪がなされないまま、話は終わる。まるで、あなただけ救われようなんてダメなんだからね、と言わんばかりに。

 

舞台、主人公の仕事こそ現代美術館のキュレーターではあるけれど、描かれているところはだいぶ実際の美術館とは違うんじゃないの?という感じもあって、あくまでもメタファーなんだろうな、という感じ。

それはつまり「現代美術」を「美術館」で楽しむ余裕があって、赤ん坊を抱えて打ち合わせに参加できて、ショッピングモールで両手にナイキやCOSの買い物袋を抱えたりできるような人との分断。

フィジカルには同じ場所にいるのに実際には見えない線が引かれている。それこそ彼らは、スクエアに囲まれているのかもしれないし、スクエアに閉じこもっているのかもしれない。そこから何かのきっかけで足を踏み外せば、二度と戻れないのかも。

【読書】さよなら未来/あるいは変化を志向する勇気について

電撃的な退任自作自演インタビュー、読みたかった物流特集が出ないことがわかってから約4か月。「ついに出た」という感じ。

 

 

 

「エディターズ・クロニクル2010-2017」のサブタイトル通り、過去に執筆されたものの集大成、なんだけれど、例えばWIREDの序文でも雑誌の時のデザインとこの本のデザインとでは見え方も変わる。肝心の内容は、詳細まで落とし込むとテーマは多岐にわたるけれど、通して浮かび上がってくるのは、「若林恵」という人の勇気なんだろう。

復活後のWIREDもテーマによって買ったり、買わなかったり、dマガジンで読んだり、ぐらいだったわけですが、Twitter見てる限り、そういう人もけっこう多くて、そういう人ほど「なんだか読まなきゃ」ってなっているパターンが多い気がする。

 

読み終えたのはもう先週の話で、レビューもさっき挙げたような人がたくさん書くんだろうなぁと思ったりしていたのだけれど、おりしも、竹熊さんのライター本をきっかけにしたのか、日本のネット住民の年齢層がだいぶ上がってきたのか(少なくともインターネットで「テキスト」を嗜好する人の年齢はだいぶ上がってそうだ)、40代を超えてから変化をすることのしんどさみたいなのをぶっちゃけるものをいくつか目にすることがあって、あぁもしかしてこういうことなのかな、という気がしたので、それはまとめておこうと思って書いている。

 

fujipon.hatenablog.com

20代から30代前半の頃は、「ここで我慢してがんばっておけば、この先、きっとプラスになる」と自分に言い聞かせることができた。
 でも、40を過ぎると「ここで我慢したって、もう、天井は見えてるじゃないか。もう、この先にいいことなんてそんなにないんだから、言っちゃえよ、やっちゃえよ」という、自分の内なる声が聞こえてくるのです。それと「いや、ここでレールから外れたら、お前はもうどん底まで落ちていくだけだぞ。家族にも迷惑がかかる。なんとか踏ん張れ」という抑制の声が、つねに闘っている。

自分はまだ30代も3分の1を超えてもいない状態ではあるのだけれど、何となくこのブログに書いてある感じはわかるところがある。話は飛んじゃうけど、「子供はいいよー」みたいな話も出てくるのも、成長していく姿、できないことができるようになるのを間近に見れるよろこび、快楽みたいなのが背景にある気がする。

 

話を戻して、そういうこの先の自分をめぐる危ういバランスに気づいたとき、自分を含めてたいていの人は、違うベクトルでがんばるか(例えば子育てとか)、気づかないふりをするか、なんとか踏ん張るか(知らんふりするのもこの枠かな)、という話になると思う。

で、この本にまとめられているのは、そういう気持ちのときに踏ん張るどころか、「いや、でもさぁ」と踏み出してきた記録なのだろうと思うわけです。あるいは、そんな気持ちにすらなってないのかもしれない。実際に若林さんと会話をしたことがあるわけじゃないから、そこまでは分からないけど。

なんとなくこの先……みたいなことを考えたときに、東京で消耗するのが嫌になって田舎に行ったり、ベンチャー立ち上げて一旗上げてやる、でもない。YouTuberで好きなことで生きてくわけでもない。真摯に自分のやることと向き合って、流すことをやめて。そういう現実と向き合ってく勇気。そしてそれは周りのそういう人を応援していく勇気でもある。

 

なにか新しいこと、人とちがったことをするには勇気がいる。それは、なにか新しいアイデアをもった人だけに限らず、それをともにつくったり、それを伝えたり、あるいはそれを教示する側にも、勇気を強いる(中略)「新規事業開発」の部門についていえば、おそらく一番勇気を必要とするのは部下の勇気を評価する上司だ。冒険を尊ぶ社会では、みなが冒険をしなくてはならない。勇気には、勇気をもって応えよ。

(P281 「音楽にぼくらは勇気を学ぶ」)

 

自分は今、勇気を評価してもらう立場にあるのだろうと思うと、それに賭ける勇気を持ってもらえるように、相手が理解できるようにその根拠を示さなくてはならない。もし自分が将来、そういう立場になったときは、その勇気を認めることをためらわないようにしたいとも思う。

 

とはいえ、こういう気持ちをいつも持ち続けることはなかなかできないもので。ゆえに若林さんの記録は尊くて、ゆえに自分は折りにふれてこういう本で勇気をドーピングするんだろう。

それこそ、いつでも未来に驚かされていたいから。

 

※物量的な大変さももちろん、編集者の本を編集するという、思いっきり自分を試される行為を経てこの本を世に出してくれた、編集担当の岩波書店・渡部朝香さんの勇気も尊い

【映画】おとなの事情/罪を犯したことのない者だけが石を投げよ、的なイタリア映画。

タイトルは、見終わって思い起こした聖書の一節から。

同じゲームをできる人とだけ、この映画を見よう。

できなければ、一人で見よう。

 


映画『おとなの事情』予告編

ある夜、幼なじみたちがそのパートナーを連れて、食事会の席に集まった。新婚カップルのコジモとビアンカ、倦怠期の夫婦レレとカルロッタ、思春期の娘との確執を抱えているエヴァとそんな妻と娘の間に板挟みに合って悩むロッコ、そして最近“彼女ができた”が、ひとりでやってきたバツイチのペッペ。秘密なんてない、と豪語する気心の知れた7人は、ちょっとしたことがきっかけである携帯を使った“信頼度確認”ゲームを始める。ルールは、それぞれのスマートフォンをテーブルの上に置き、メールが届いたら、みんなの前で開いて読み上げること。電話が鳴ったら、スピーカーフォンに切り替えて、みんなの前で話すこと。
 やがて、電話が鳴り、メールが届き始める。ひとつコールが鳴る度に、暴かれていくそれぞれの秘密。妻に内緒で心理カウンセリングに通っていること、豊胸手術を受ける予定があること、浮気、そして性癖まで。たわいない遊びが、長年培ってきた友情と絆に波紋を投げかける……。
スマホに隠された“極秘の事実”が明らかになった時、夫婦、親友の信頼関係はどうなってしまうのか?

と、いうわけで、いかにも今日らしいテーマ設定で行われる、シチュエーションコメディみたいな、舞台にもなりそうなストーリー。

月食の夜に集まった7人。浮気だなんだの話であれば、スマホじゃなくても何かのきっかけでこの手の話はありそう。ただ暴き出されるものがそこで終わらない。

夫婦間の事情もそうだけど、セクシャリティの話も入ってくるのが、言い方が良くないかもしれないけれど、今日性のあるテーマ。終盤に出てくる「言えるわけないだろ、2時間ゲイだっただけでこの扱いだ」という一言は、自分もその立場じゃなければどうふるまっていたかわからない、と思うと、自分の胸にそっと手を当てたくなる。

 

スマホという、パブリックとパーソナルを行き来する存在。それをきっかけに、すべてがオープンになる世界って本当に幸せなんだっけ、という問いも投げかける。

張られた伏線をうまく回収しながらなだれ込むエンディング。賛否両論あるかもですが、この含みを持たせる感じが、いいと思う。

 

リアルに感じて、考えるにはしんどすぎる世界になってしまったので/ビリー・リンの永遠の一日

海外旅行に数日行って、帰ってきて、何となく日常にズレみたいなものを感じることがある。過ごしていく中でそのズレは少しずつなくなっていって、また日常に戻っていくのだけれど、ズレを感じることで、それまで見えていなかったことが見えたりするきっかけにもなったりする。 

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

 

ビリーは19歳。高校卒業前にちょっとトラブルがあって、兵役につくことになって、イラク戦争へ。戦地でヒーローとなった彼が所属する分隊は、戦意高揚のために一時帰国する。大統領をはじめ全米各地での歓待を受け、今日アメフトのハーフタイムショーでビヨンセとともに出演し、そして、また戦地に戻る。 その数日間を描いた小説。

「戦地で何があったか」は明確に描かれない。ただ二人の仲間が、命を失ったか、あるいは大ケガをしてしまっている。帰国中のツアーはすべては描かれない。しかしずっと映画プロデューサーがついて回って、映画化しようとしている。一日だけ、実家に帰って家族と過ごす。そしてアメフトの日。最後の日。

それまでのツアーの中で感じてきた違和感が積み重なって積み重なってのその日であるんだろうけれど、ビリーはずっと違和感を抱えている。どっちが現実なんだろう、どっちが「まとも」なんだろう。ずっとその違和感の正体を見極めようと、考え、自問自答し、観察している。それまでなら出会うことすらなかったであろう大統領、富裕層、ショービジネスの世界の人々、実業家、神父、アメフト選手。その違和感に、誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのかわからないけれど、逃げることを進める姉も、運命のように出会ったチアガールにすらも、分かってもらえた感覚を持たないまま、ビリーはまた戦地へ戻っていく。唯一もしかしたら、と思えるのはアメフトのスタジアムで働いているウェイターたちぐらいか。でもそれも、一部分でしかない。

 

描かれる「アメリカ的なもの」は、アメリカだけでなくて、今自分たちが生きている世界……どこかで泥沼の毎日が続いていて、その土地になんの縁もないまま送り込まれた兵士が殺しあっていて、その裏でものすごい繁栄と狂騒があって、その落差に目を向けるほど人は強くなくて。でも、「それを知らない」とは言えないぐらいに、つながってしまっていて。そういう世界の姿なんだと思う。

 

2004年11月。感謝祭のアメフトの試合のハーフタイムショーで、実際にビヨンセを含むディスティニー・チャイルドのバックで行進し、歌い踊る大学と軍のマーチングバンドの姿を見て、これがどんな作用を頭にもたらすのかを考えたところから、この物語の着想は得られたのだという。その想像力が、救いなのかもしれない。

 

 

映画にし甲斐がありそうな…と思っていたら、やっぱり映画が。日本では未公開だったけれど、ソフトは発売されるようで、まずはレンタルで、この週末に見るつもり。


『ビリー・リンの永遠の一日』3月7日ブルーレイ&DVD&UHD発売/2月2日よりレンタル開始

映画「まともな男」/やめろー、やめてくれーのそれはまさにホラー

秋の公開時に見に行きたかったままで行けなかった映画を、見てきました。

 

youtu.be

休暇で来たスキー場。預かっている上司の娘の身に、ある悲痛な事件が起こる。父親トーマスは保護者として穏便に済ませようとするが、事態はどんどん悪い方向へ進んでゆく……。

平凡な、というよりも凡庸な会社員トーマス。先日アルコールが入った状態で気に入らない同僚の車にわざとぶつけるトラブルを起こし、セラピーに通っている。「どうしてそんなに飲んでしまったと思いますか?」という問いにも「たまたまだ、私はいたって“まともな男”なんだ」と答えている。そしてトラブルのことも、セラピーのことは家族には内緒。まぁちょっとしたお酒のトラブルなのだ、と。

家族でやってきたスキー場。途中で家族とちょっともめたり、妻や娘との約束を守っていないことを指摘されたりもあったけれど、上司の娘も預かって別荘へ。そして……

というのがあらすじ。

 

まぁ予告編を見れば推して知るべし、な内容なのだけれど、この「まともな」会社員トーマスの感じが素晴らしい。どんどんドツボにはまっていく。ただそれは「いかにも」なわざとらしい感じ、フィクションの感じではなく、いかにもありそうな、簡単に起こってしまいそうな出来事、保身、優柔不断が積もり積もって最後の事件へ。もう途中から、やめろ、やめてくれ、もうダメだ、トーマスやめるんだ、それじゃもっとひどいことになってしまう…!となってしまう感じはまさにホラーのそれだよな、と思うのです。

起こりうる最悪の事態を積み重ねて、それでも人生は、日々は続いていく。最後のパーキングでのシーン、その後の運転シーンはせめてもの救いなのか、後味の悪さを増すための演出なのか。

 

 

いやはや、思ってた以上にスリリングだった。