休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

リアルに感じて、考えるにはしんどすぎる世界になってしまったので/ビリー・リンの永遠の一日

海外旅行に数日行って、帰ってきて、何となく日常にズレみたいなものを感じることがある。過ごしていく中でそのズレは少しずつなくなっていって、また日常に戻っていくのだけれど、ズレを感じることで、それまで見えていなかったことが見えたりするきっかけにもなったりする。 

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)

 

ビリーは19歳。高校卒業前にちょっとトラブルがあって、兵役につくことになって、イラク戦争へ。戦地でヒーローとなった彼が所属する分隊は、戦意高揚のために一時帰国する。大統領をはじめ全米各地での歓待を受け、今日アメフトのハーフタイムショーでビヨンセとともに出演し、そして、また戦地に戻る。 その数日間を描いた小説。

「戦地で何があったか」は明確に描かれない。ただ二人の仲間が、命を失ったか、あるいは大ケガをしてしまっている。帰国中のツアーはすべては描かれない。しかしずっと映画プロデューサーがついて回って、映画化しようとしている。一日だけ、実家に帰って家族と過ごす。そしてアメフトの日。最後の日。

それまでのツアーの中で感じてきた違和感が積み重なって積み重なってのその日であるんだろうけれど、ビリーはずっと違和感を抱えている。どっちが現実なんだろう、どっちが「まとも」なんだろう。ずっとその違和感の正体を見極めようと、考え、自問自答し、観察している。それまでなら出会うことすらなかったであろう大統領、富裕層、ショービジネスの世界の人々、実業家、神父、アメフト選手。その違和感に、誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのかわからないけれど、逃げることを進める姉も、運命のように出会ったチアガールにすらも、分かってもらえた感覚を持たないまま、ビリーはまた戦地へ戻っていく。唯一もしかしたら、と思えるのはアメフトのスタジアムで働いているウェイターたちぐらいか。でもそれも、一部分でしかない。

 

描かれる「アメリカ的なもの」は、アメリカだけでなくて、今自分たちが生きている世界……どこかで泥沼の毎日が続いていて、その土地になんの縁もないまま送り込まれた兵士が殺しあっていて、その裏でものすごい繁栄と狂騒があって、その落差に目を向けるほど人は強くなくて。でも、「それを知らない」とは言えないぐらいに、つながってしまっていて。そういう世界の姿なんだと思う。

 

2004年11月。感謝祭のアメフトの試合のハーフタイムショーで、実際にビヨンセを含むディスティニー・チャイルドのバックで行進し、歌い踊る大学と軍のマーチングバンドの姿を見て、これがどんな作用を頭にもたらすのかを考えたところから、この物語の着想は得られたのだという。その想像力が、救いなのかもしれない。

 

 

映画にし甲斐がありそうな…と思っていたら、やっぱり映画が。日本では未公開だったけれど、ソフトは発売されるようで、まずはレンタルで、この週末に見るつもり。


『ビリー・リンの永遠の一日』3月7日ブルーレイ&DVD&UHD発売/2月2日よりレンタル開始

映画「まともな男」/やめろー、やめてくれーのそれはまさにホラー

秋の公開時に見に行きたかったままで行けなかった映画を、見てきました。

 

youtu.be

休暇で来たスキー場。預かっている上司の娘の身に、ある悲痛な事件が起こる。父親トーマスは保護者として穏便に済ませようとするが、事態はどんどん悪い方向へ進んでゆく……。

平凡な、というよりも凡庸な会社員トーマス。先日アルコールが入った状態で気に入らない同僚の車にわざとぶつけるトラブルを起こし、セラピーに通っている。「どうしてそんなに飲んでしまったと思いますか?」という問いにも「たまたまだ、私はいたって“まともな男”なんだ」と答えている。そしてトラブルのことも、セラピーのことは家族には内緒。まぁちょっとしたお酒のトラブルなのだ、と。

家族でやってきたスキー場。途中で家族とちょっともめたり、妻や娘との約束を守っていないことを指摘されたりもあったけれど、上司の娘も預かって別荘へ。そして……

というのがあらすじ。

 

まぁ予告編を見れば推して知るべし、な内容なのだけれど、この「まともな」会社員トーマスの感じが素晴らしい。どんどんドツボにはまっていく。ただそれは「いかにも」なわざとらしい感じ、フィクションの感じではなく、いかにもありそうな、簡単に起こってしまいそうな出来事、保身、優柔不断が積もり積もって最後の事件へ。もう途中から、やめろ、やめてくれ、もうダメだ、トーマスやめるんだ、それじゃもっとひどいことになってしまう…!となってしまう感じはまさにホラーのそれだよな、と思うのです。

起こりうる最悪の事態を積み重ねて、それでも人生は、日々は続いていく。最後のパーキングでのシーン、その後の運転シーンはせめてもの救いなのか、後味の悪さを増すための演出なのか。

 

 

いやはや、思ってた以上にスリリングだった。

今さらながらなんで決勝が先なんだろう/第55回ラグビー日本選手権

明けましておめでとうございます。今年もゆるゆるとやっていこうと思っています……!

 

さて、だんだんラグビー色が抜けてきてしまっているのですが、今シーズンもいよいよ佳境。こないだの3連休はトップリーグ総合順位決定戦、大学選手権決勝、高校ラグビー決勝と続き、いよいよ週末は【「第55回日本ラグビーフットボール選手権大会」(兼トップリーグ総合順位決定トーナメント)】の決勝であります。

すっかり土曜日が5位以下の試合があって、日曜日に1~4位だと思い込んでいたのですが、なんと逆なんですね。なんていうか、すでにラグビークラスタから指摘も入ってますが、センスが……。いや、今さら言うなって話なんですが。

共催であるNHKさんの放送の都合について言及されている方も何人かいらっしゃって、ちょっと調べてみると、確かにこれまではうまく避けて日程が組まれていたようです。

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・第52回 決勝 2/28(土)⇔初場所 1/11~25

・第53回 決勝 1/31(日)⇔初場所 1/10~24

・第54回 決勝 1/29(日)⇔初場所 1/8~22

・第55回 決勝 1/13(土)⇔初場所 1/14~28

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背景には2月で3シーズン目を迎えるサンウルブズの準備期間を確保すること、数少ないテレビ放送の機会を逃さないことなど、いろいろあるとは思いますし、その1つ1つは大事なことではある。14日の試合を予定しているチームだって、消化試合なんて気持ちでやらないと思うし(それどころじゃない試合もあるし)、試合そのものは楽しみにしてる。でも、何となく優先順位が違う気がする。

 

なかなか全員が納得する形を作るのは難しい(し、何にでもケチをつけたがる人もいるし)のだけれど「優先順位はこうで、だからこういうフォーマットにしましたよ」って説明があるとなおいいですよね。また、そういうのにパッと気づいて、最初に質問ができるような観察眼と想像力を身につけたいものです……。

 

何はともあれ、週末はラグビー。寒いけど、がんばるぞー。

正しさの危うさ/ブレグジット秘録 クレイグ=オリヴァー

2016年6月23日。イギリスがEU離脱をめぐる国民投票を実施した日。そこに至るまでの半年間を、「政務広報官」という立場で過ごした著者による、記録。

 

ブレグジット秘録 英国がEU離脱という「悪魔」を解き放つまで

ブレグジット秘録 英国がEU離脱という「悪魔」を解き放つまで

 

600ページを超えるボリュームで記された本書は、本当に日記というか、記録。残留側の最前線に立って活動した彼が、国民投票までの半年間に何をどう見て、何を感じたか、ということが生々しく伝わってくる。背景には国民投票をそもそも公約にしていたこと、いつかは通らざるを得ない道だったこと、労働党スコットランド独立党との絡みをはじめとした「国民全体の問題」にすることの難しさなど、いろんな話が絡み合っているのだけれど、一番重たいなぁと思うのは、報道に関する話。

 

「公平性」のために、離脱派、残留派両方の主張を紹介する。しかしその主張の根拠が間違っていたら?速報性を重視するために十分な検証がなされていないとしたら?一度ニュースになったものが広がったあと、報道番組、専門番組で訂正されたとして、それを見る人はどれぐらいいるのか?日本でなら、ヤフトピに出た話が間違っていたら?文春の話に根拠がなかったら?スマイリーキクチさんの問題もあったけれど、これから問われるのは、例えば憲法が絡んだり、社会保障が絡んだり。現代における「事実」の扱いの難しさをまざまざと見せつけられる、突き付けられる。

 

ブレグジットからアメリカの大統領選挙、2016年の言葉は、確かに「Post Truth」だったのだと痛感するばかり。その中で、どう情報を受け止めるか、そしてどう発信していくのか。そういう話を現代を生きていく上での最低限のリテラシーとして、社会を構成する「みんな」が身につけることができているのか。突き付けられているのは、大きな問いだ。

なぜ戦いは終わらないのか そして人は本当に多様性を受け入れることができるのか。/アラー世代 アフマド=マンスール

 重い、果てしなく重い現状と、否定できない指摘。

誰がいつ、そういう風に話をしていたのか、記憶が定かではないけれど、21世紀に入ってアメリカのいわゆる「テロとの戦い」が始まったころか、あるいはISISが台頭してきたころかに聞いた「これは相手を叩きのめして終わる戦争ではないんだ」という話を、最近の「イスラム国の拠点を制圧した」というニュースを見るたびに思い出す。

曰く「国家をつぶして終わりではない。また誰かが、同じように武器を取る、その状況を変えない限り、戦いは終わらない」と。

アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために

アラー世代: イスラム過激派から若者たちを取り戻すために

 

著者のアフマド=マンスールは1976年生まれのアラブ系イスラエル人。パレスチナの文盲の祖父母、ガソリンスタンド勤務の父のもとに育った彼は、テルアビブ大学に進学し、現在はベルリンで心理学者・ソーシャルワーカーとしてイスラム過激主義に傾倒する若者たちの救済、その家族への支援活動を行っている。自らもイスラム教徒であり、かつてムスリム同胞団の一員として活動した経緯を持つ彼が現場で見た若者たちの姿をもとに、何が若者を惹きつけるのか、それにどうあながうことができるのかを説いた本。

 

現在、ドイツには外国籍の住民が全人口の9%、移民を背景に持つ人達の数は全体の20%を超え、ムスリムは人口の約5%を占める400万人以上という。そのドイツで、イスラム過激主義に傾倒し、シリアへ、ISへと自ら赴く若者がいる。本書のタイトルともなっている「アラー世代」はそういった若者たちを指すアフマド=マンスールの造語である。アルカイダ、IS、ボコ=ハラムなどを頂点とするイスラム過激派のピラミッドを考えたときに、その下にあるムスリム同胞団、トルコのエルドアン大統領のようなシーンによっては強硬的なグループがあり、その下にいて土台となっているのが彼のいう「アラー世代」である。曰く「その思考と行動が、社会の価値観と合致せず、民主主義と相容れない若者たち」。そしてそれは数千人のイスラム教徒、といようなレベルではなく、一つの世代全体になっているという。移民の2~3世で、ドイツに生まれ育ち、ドイツ語を話す若者たち。しかし、そのアイデンティティとして自らのルーツである中東が戦火に見舞われる様子を見ながら育つ、あるいは社会から除け者にされる経験をしながら成長してきた若者たち。彼らを狙ってリクルーティングに来る宣教者たちも増えてきているという。そんな「アラー世代」を過激派にしないために、キリスト教ユダヤ教イスラム教・無信仰などの宗教を超えた、近代の個人主義の価値観を持つ共同体として共に在るために何ができるのか、が4章からなる本書の大きなテーマとなる。

 

第一章は彼自身の生い立ちから始まる。前述の通り、パレスチナで生まれ育った彼は、しつけの名のもとに、自立した思考を禁じられ、懲罰と暴力による恐怖が支配する中で育つ…というと日本じゃありえなさそう、な感じさえするかもしれないが、「いいから言うことを聞きなさい」という育て方だって、そう遠い話でもないだろう。そこにパレスチナ紛争の恐怖が混じり、不安・孤独・自信のなさを抱えて育つ中で、転機となるのが「君のなかにはもっと偉大なものになる可能性が秘められている」と断言したイマーム(宗教的な指導者)である。彼の一言は自尊心をくすぐる。そしてあっという間に彼の一種の父親役となる。家族もマジメに、信心深い感じがするのだから文句も言わない。しかしそのイマームからの教育はやがて過激さを増し、彼はイスラム原理主義の中によりどころを見つけるまでになる。その後、テルアビブ大学に進学した彼は、そこでユダヤ人とともに学び、様々な価値観に触れることで揺り戻され、やがてイスラエルからドイツに離脱する。そして、過激派からも距離を置くようになる。その後、言葉の壁を乗り越えた彼はドイツに住み続けるのだが、パレスチナに残してきた家族は沈黙を保ったままである。

 

第二章は実際に過激主義に傾倒する若者の実態を交えながら、その要因を探っていく。どういうポイントが若者を惹きつけるのかについても非常に具体的な、生々しい記述がある。何かの問いに対して、簡単明瞭な、善悪を二分する答えを持てないこと……社会を構成する上で一概に答えられないこと、は多様性を持つ現代社会の特徴であり、良さでもあるが、矛盾でもある。自分に余裕があれば、いろんな角度から物事を見て捉えられる。しかそそれこそ両親が難民であったり、移民労働者であったり、アラー世代の若者たちはそうではない場面も多い。ほとんど周囲…家族であり、学校であり、社会であり…から承認されてこなかった若者が、過激派のそれであったとしても、宗教という確固たる構造の中に「自分が何者か」を見出したとき、そこに敬意や権力の約束が植え付けられたとき、もはや若者を止めることは極めて難しくなる。宗教に若者がそうなってしまう状態になる要因について、社会の問題だけではなく、イスラム教側の問題についても指摘する。ある意味過激派のほうが、優れたソーシャルワーカーとなってしまう現状についても。

 

 第三章はどうするべきか、という処方箋の章。家庭や学校の現状を交えながら、特に学校について、何が問題なのか、どこを変えるべきなのかを具体的に指摘していく。ある教師が「クラスの31人中28人がトルコ人」「正しくはトルコ系でした」というが、実際にそのクラスへ行ってみるとトルコ系は2人、そのほかはレバノンパレスチナボスニア、モロッコなど……あくまでも「外国人の」「彼らの」問題として捉えてしまう例を挙げる。そのほか、入国審査などの例を挙げつつ、ある種の線引き、配慮のなさは人種差別のそれと変わらない、ということを指摘する。彼は「生徒の出自についてたずねないのは、生徒を差別しないようにするため」という主張に対し、その遠慮は根本的に間違っている、と断言する。ルーツなくして未来はない。自分がどこから来たかを知ること、個人史を振り返る授業の必要性だと。そしてもう一つが今起きている紛争や、その原因、事件などについて議論する時間を設けるべきだ、というものだ。そうでなくても、若者たちはインターネットやメディアを通じて本当は関心を持っているはずだという。

 

最後の第四章で、これまでの話をまとめる形で10個の提案が述べられ本書は幕を閉じる。「アラー世代」「イスラム過激派」という言葉だけで遠い話だと判断してはいけないテーマを含んだ本であったと思う。「日本は移民を受け入れるのか」という話もある。しかしそれだけでなく、どことなく共通項を見いだせてしまうドイツにおける現代の姿に、難民が押し寄せ、もはや移民国家となった遠いヨーロッパの国、ドイツだけではない普遍性がこの本にはあるように思う。様々な価値観やバックグラウンドを持つ人たちが同じ社会を構成していく時代。その時代に必要となるものを示す普遍性である。

 

ラグビー日本代表の試合に批判が多いのは前半のスコアが原因だと思う

先週末行われたオーストラリア代表・ワラビーズとのテストマッチ。2017年、国内最後のテストマッチ、会場もワールドカップ本番で決勝が行われる日産スタジアム、43,000人を超える観衆が集い、前半大きくリードされたものの、後半は代表初キャップの姫野のトライなど3本のトライでほぼ互角のスコア……が、どうもスッキリしない。

かねてより指摘されているハード面でのワールドカップ本番への準備の遅れ(会場までのアクセス、会場内の飲食…ビールが無い問題、そもそもやっぱトラックがあるスタジアムは見づらいetc、etc...)に加え、ここへ来てジェイミーの方針に対して疑問を呈す記事を出すメディア、ファンも増えてきた印象があります。

かく言う私も後半の2本のPGをはじめ、なんだかモヤモヤしてしまったのも事実。むろん、これまでの対戦成績を思えばワラビーズから30点取ったことは進歩だ、エディーのときだって疑問の声はたくさんあったじゃないか、という反論はごもっともだと思う。集まって短い状態で、けが人も多いチーム状況でよくやった、いや、これが現状の力の差なのだと認識できてよかった、むしろ本気で勝てると思っていたのか、と。

 

でも。おんなじ話を6月のアイルランドとの試合のあとにも、なんだったら、去年のアルゼンチンとの試合のあとも同じことを言ってませんでしたか、と思うのです。

この拭いきれないモヤモヤ感、がっかり感はなんでなんだろう、と考えていたのですが、ふと、「前半で試合が決まった中、後半はなんとか競った」みたいな試合展開にあるんじゃないかと思い至りました。

 

■2016/11

対アルゼンチン戦 前半6-21 最終20-54(15点差→34点差)

ウェールズ戦 前半13-14 最終30-33(1点差→3点差)

対フィジー戦 前半6-21 最終25-38(15点差→13点差)

■2017/6

アイルランド 第1戦 前半3-31 最終22-50(28点差→28点差)

アイルランド 第2戦 前半8-28 最終13-35(20点差→23点差)

■2017/11

対世界選抜 前半13-14 最終27-47(1点差→20点差)

対オーストラリア 前半3-35 最終30-63(32点差→33点差)

 

こうしてみると、前半競ってたのはウェールズ戦と、世界選抜戦。後半に差が詰められたのはフィジー戦のみ。戦術的な話はひとまず置いといて、見てる側の気持ちだけで考えると、前半で試合が決まっちゃった後に競ったとしても、なんだかなぁと思ってしまう。そりゃ30点空いてりゃ相手も多少気を緩めるよ、というか。当然ですが「後半だけ見たら互角だった」って、結局点差開いてる試合も多いしね……。

 

応援してる側ってつくづく勝手だなぁとは思うのですが、これは後半まだまだ分かんないよー!と思える試合が見たいな、と素直に思ってしまう今日この頃です。ヨーロッパでは果たしてどんな試合が見れるのかなぁ。

前回のTHIS IS USはそれなりに重かった気がするんですけど、どうなんでしょう。

国内最後のラグビーテストマッチが終わり、プロ野球が終わり。いや、ラグビーはここからがハイシーズンなんですが、なんていうか、もっとうまく楽しめるようになりたいと思っています……「うまく」というと違う気もするのですが、ちょっと適切な言葉が思いつかない。

 

さて、日曜夜の11時枠でやってる「THIS IS US~36歳、これから」は思った以上に周りのアラサー界隈で見ている人がいない。36っていうとちょっと上な印象があるのかしらとか、同じ枠でずっとやってたのがダウントンアビーでありエリザベスであり、しかもダウントンアビーの前は韓国ドラマやったから、ちょっと見てる人のターゲットが違うのかな、と思い始めた頃の5話目がなかなか重かった。

www4.nhk.or.jp

一度止まっちゃうともう一回動き出すのって大変じゃないですか。勢いを止めないって大事だったんだろうなぁと思うのです…今さらなのか、どーなのかわからんけども。