休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

スカイクロラ

カンナミ・ユーイチは、戦争請負会社ロストック社に所属する戦闘機のパイロット。前線基地「兎離洲(ウリス)」に配属されてきた彼には、それ以前の記憶がない。彼にわかっているのは、自分が《キルドレ》であることと、戦闘機の操縦の仕方だけ。空で戦うこと――それがユーイチのすべてだった。

 基地の女性司令官クサナギ・スイトも、かつてはエースパイロットとして空で戦ったキルドレのひとり。スイトについては、「ユーイチの前任者を殺した」「キルドレなのに子供を産んだ」……と、さまざまな噂が飛び交っている。そんなスイトに惹かれていくユーイチ。初めて会ったはずなのに、まるで彼を待ち続けていたかのような視線を注ぐスイト。二人の距離が縮まるのに、多くの言葉も、多くの時間も必要なかった。スイトは、思いもかけない言葉を口にする――「殺してくれる? さもないと、私たち、永遠にこのままだよ」

謎解きはその手の得意な人たちに任せるとして。原作もあることだし。
とりあえず最後の「Kill My Father」が重要だと思います。

ここで考えたいのはこれを押井守が強いメッセージ性を伴って映画にしていること。

私は、56歳になりました。
(中略)
今、映画監督として何を作るべきか。私は、今を生きる若い人たちに向けて、何かを言ってあげたいという思いを、強く抱くようになりました。

この国には今、飢餓も、革命も、戦争もありません。衣食住に困らず、多くの人が天寿を全うするまで生きてゆける社会を、我々は手に入れました。しかし、裏を返せば、それはとても辛いことなのではないか──と思うのです。永遠にも似た生を生きなければならないという状況。その中で次々に引き起こされる痛ましい事件。親が子を殺し、子が親を殺す時代。何の理由もなく、若者が自らの命を絶つ時代。物質的には豊かだけれど、今、この国に生きる人々の心の中には、荒涼とした精神的焦土が広がっているように思えてなりません。

 そんな時代を生きる若者たちに、何を言ってあげたら良いだろう?

ニートやフリーター、渋谷のセンター街で座り込む少女たち。親を殺した少年。彼らを大人の目線で見下し、まるで病名のような名前を与えても、何の本質にも至りません。今こそ、彼らの心の奥底から聞こえる声に耳を澄まし、何かを言ってあげるべきだと思うのです。

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の主人公は、生まれながらにして永遠の生を生きることを宿命づけられた子供たちです。大人になれないのではなく、大人になることを選ばなかった子供たち。彼らは、永遠に思春期の姿のまま、戦闘機のパイロットとして、常に死を意識し、全力で戦うことを選びます。そして映画は、主人公のモノローグとともにクライマックスを迎えます。

 それでも……昨日と今日は違う
 今日と明日も きっと違うだろう
 いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことが出来る
 いつも通る道だからって 景色は同じじゃない

たとえ、永遠に続く生を生きることになっても、昨日と今日は違う。木々のざわめきや、風のにおい、隣にいる誰かのぬくもり。ささやかだけれど、確かに感じることのできるものを信じて生きてゆく──。そうやって見れば、僕らが生きているこの世界は、そう捨てたものじゃない。僕はこの映画を通して、今を生きる若者たちに、声高に叫ぶ空虚な正義や、紋切り型の励ましではなく、
静かだけれど確かな、真実の希望を伝えたいのです。

全文、オフィシャルホームページ(http://sky.crawlers.jp/index.html)より。
ってことで考えると、少し微妙じゃない?

決して毎日は同じではない、それは自分で変えていけるんだよってことが、
わかりやすいメッセージなのだと思いますが、なんか安易な感じがする。

その困難さ、あるいは、それでも生きることの意味をなお問うてほしい。
どうせなら。
NHKのドキュメンタリーでは、同じだと思えるような明日を生きていくというマラソンを、
非常につらい思いをして、でも「最近ゴールしたと思えた」という押井守
(つまりそれなりに生きる意味を見つけたんだろうね)、
「つらいだろう、俺もつらかったんだ、でもゴールしてみると悪いもんじゃないぜ」
ってことを言いたかったんだと話していましたが(本人は2周目に入ったそうです)。

ゴールが知りたいよ、僕は。
どんなゴールがあるにしても、とりあえずゴールは本当にあるのかってことを。