休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

ただの鑑賞者でいさせてくれれば/ウィリアム・ケントリッジ展

メディア芸術祭の導線のひどさにうんざり。
img2
↑は、会場の案内図ですが、赤丸の部分に人がたまりすぎて・・・!!
去年みたいに回遊性のあるデザインでいいじゃないか、と突っ込みつつ、来年はたぶん行かないと思う。


で、来年あっても行く!と思ったのはこっち。

ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…

ウィリアム・ケントリッジ(1955年南アフリカ共和国生まれ、ヨハネスブルグ在住)は、「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作によって、1980年代後半より現在にいたるまで現代美術における映像表現を牽引し続けているアーティストです。

ケントリッジの映像作品は、木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながら、1コマ毎に撮影する気の遠くなるような作業から生み出されるものです。絶えず流動し変化し続けるドローイングの記録の連鎖から生まれる彼のアニメーションには、消しきれない以前のドローイングの痕跡が残され、堆積された時間の厚みをうかがわせる重厚さにあふれた表現となっています。

日本での展覧会は、ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので、我が国では初の個展となります。19点の映像作品、36点の素描、63点の版画によりケントリッジの活動の全貌を紹介します。

あれ?京都でもやってる・・・?というツッコミはさておき。
ドローイングのタッチからくる生々しい感じが
アニメーションの中でそれが急に単なる物になってしまう瞬間のグロテスクさを増しているに感じられる。

展示としては、ドローイング→アニメーションの繰り返しになるのだが、
複数のスクリーンが同じスペースにある、というこのアニメーションの展示が今回のキモだと思う。
最初はえらく大胆なことを・・・と思ったけれど、いざ一つ一つ見ていくうちに
どんどん映像と音を浴びせられて、終わってみたら結構時間がたってた、みたいな。
で、間のドローイングやら視覚装置やらでインターバルをおいて、の繰り返し。
とどめに最後のコーナーで思いっきり映像と音のシャワーを浴びて強制終了!という仕打ちで、
ただ見てるだけでは消化不良になってしまう。
鑑賞者の側にも「歩きながら考える」ことを求めているのかな、なんて無理矢理タイトルに結び付けてみたけど、
非常によく練られた展示だと思いました。