休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

黒と無。

グレゴール・シュナイダー『Toter Raum,Tokio 2010(死の部屋)
を見てまいりました。

展示室は二部屋あるんですが、
肝はやはりRoom2に製作された「死の部屋」。

ショッキングピンクに塗られた立方体の下にぽっかりと空いた小さな穴から中を覗くと、
そこはすべてが黒く塗られた世界。
先を確認するために伸ばしていった手も、徐々に見えなくなって、
或る一定のところで自分の手がなくなる(正確には見えなくなる)。
距離感が失われて、有態に言えば目を開けても閉じても変わらない状態。
光が届かなくなったとき、黒は「黒」ではなくなって、「無」になる。
黒を黒として、視覚情報として認識するには光が必要なんだという当たり前っちゃ当たり前なんですが、
そんな気づきもありつつ、部屋から出て、自分が新たに産まれたような、不思議な感覚を覚えました。

外の音も聞こえなくなってしまったその瞬間の感覚は、
なかなか筆舌に尽くせないものがありました。

平日、一人でこの作品と向き合えたこともとてもラッキー。

11月27日まで、新宿WAKO WORKS OF ARTにて。

このたび、10月12日(火)より、グレゴール・シュナイダーの個展 “Toter Raum, Tokio 2010(死の部屋)”を開催致します。

8年ぶりの個展となる今回、死者のための部屋「死の部屋」をギャラリー内に建設します。

作家が長年にわたって制作しつづけてきた「部屋」の作品とは、人々がそこに入り、体験することで生じる記憶と積み重ねられる時間によって際限なく変化していくものです。一貫して未知のもの(体験や認識)、不可視のものを追求してきたアーティストが、究極の未知である「死」をテーマとした部屋の制作に至ったのは必然であるといえます。「死は決してタブーではなく、生と同等の尊厳をもって受け止められるべきものである」というシュナイダーが、死者のために制作したこの部屋は、生と死という、わかちがたく結びついた二つの要素についての考察をうながします。

シュナイダーは、16歳の頃から、自宅の既存の壁の内側に別の壁や窓をつくることであらたな空間を創造する、という行為を繰り返していました。未知の空間についてのアーティストの探求は、私的な空間からパブリックな空間へとその範囲を広げ、2005年には、イスラムカーバ神殿を模した黒い立方体の作品をヴェニスサンマルコ広場に建築しようと計画、また2007年には、伺い知ることのできない収容所の内部を美術館内に再現するなど、大規模な展開を見せています。また彼は、ギャラリーや美術館の中に真の暗闇をつくり出した作品などによって、不可視のものへの恐怖心、同時に否応無くわき起こる好奇心といった、隠された感情と対峙する場を生み出し続けています。

本展に合わせ、テキスト・シリーズ第3弾「グレゴール・シュナイダー:死は芸術作品か?」を出版致します。