休日にライターのようにラグビーの取材をすることもある(けど最近お休み気味)

平日は私企業で営業マン、休日は時々ラグビーイベントとかの取材をしている30代男性のブログです。でも最近は本とか映画とかの話が多いです。

挑発する写真史/金村修、タカザワケンジ

写真史を語ることは、地図を作り、その人がどの位置に立っているかを確認することだ。しかし自分の立ち位置は常に揺れる。誤解もある。いつも何かのバイアスがかかっている。写真は進歩するのではなく、反復し続けるのかもしれない。

そんな前書きから始まって、年代別ではなく、テーマ別で軸となる3人の写真家を設定し、そこからその周囲も含めて色々語り合う、2012年の青山ブックセンターでの写真史講座をもとにした本。寡聞にして、金村修さんも、タカザワケンジさんも存じ上げず、ではありましたが、縦横無尽にいろんな写真家・作品の話が飛び交い、僕レベルの知識だとこんな人がいるんだ、という発見に満ちた1冊。

 

挑発する写真史

挑発する写真史

 

 

 

 

 

以下、メモ。

「決定的瞬間」は誤訳。”Images a la Sauvette" 逃げ去るイメージ、かすめ取られたイマージュ。決定的瞬間は無くて、フレーム、構図がある

牛腸茂雄 「日々」「見慣れた街の中で」

春日昌昭「オリンピックのころの東京」

ミラーズ・アンド・ウインドウズ 行き来するけど。あとどっちもフレームがある。無理やり定義した。一つの見方

鏡派…スティーグリッツ、自己表現のための写真、「テイク」ではなく、メイクの重視

窓派…アジェ、記録としての写真 

中平卓馬「記録という幻影 ドキュメントからモニュメントへ」写真に写ったものを信じる警察と、写真は簡単に嘘をつく、と語る中平。写真という言葉の成り立ち、リアリズム写真 「沖縄を見たのではなく、沖縄の意味を見たに過ぎない」写真の意味ではなく、写真を見れるか

写真は前後がわからない 壊されていく途中なのか、つくられていく途中なのか

渡辺兼人金井美恵子「既視の街」

作家の写真にはルールがある、バイアスがある 「もの」派・コンセプチュアルアートを撮ることで意味を奪う写真 「もの」と「もの」との関係を見せているものから、フレーミングで関係を変える面白さ

ベッヒャーの不気味さはどこから来るか 近代概念の類型・統計…人間を数値化、データ化するのが近代的意識の本質

深瀬昌久 豚を殺せ!