【雑記】18/08/15-8/21
ふらり北海道強硬旅からはや一週間、いや、まだ一週間なのか。とりあえず更新する癖をつけたいので、つらつらと振り返り。
お盆は一人になりそうだったので、思い切ってドピークに合わせてお休みを取って、帰省→伊丹から札幌へ。AirBnBで予約したドミトリーで一泊して、深夜1時過ぎの新千歳ー羽田便で帰京。
21時を過ぎたあたりで新千歳はホントに何も空いて無くてなんだか不思議な空気。国際線ターミナルに向かう動く歩道も動いてるけどその先はシャッターが閉まっているという……。過ごし方としては保安検査場を通過して待機するのが正解でした。ローソンも最後まで開けててくれたし、電源が取れるカウンターもあります。
羽田についた後は「キャビンホテル」というカプセルホテルへ。深夜でもう閉まっているのでインターフォンで開けてもらって、安い方の「ビジネスクラス」に泊まる。ほんとにシングルベッド1個分のコンテナって感じ。閉所恐怖症じゃなければそれなりに快適なのかも。「ファーストクラス」になると、多少ベッド以外のスペースもあるので、大きいスーツケースとかあるならそちらがおすすめ。いい意味で固めのマットレスが非常に寝心地よかったし、お風呂もきれいでした。
旅行中に「たたみかた」を読みだして、すごく高まったほかには、こんなあたりを読む。
脱常識の社会学 第二版――社会の読み方入門 (岩波現代文庫)
- 作者: ランドル・コリンズ,井上俊,磯部卓三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/03/16
- メディア: 文庫
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これは思ったより時間がかかってしまった。難しい、というわけではないけど、デュルケム中心にいろんな切り口で。パオロ=マッツァリーノから学術的にいきたい人とかいいんじゃないかしら。
こんなアンソロジーアリなんだ!という贅沢な一冊でした。綿矢りささん、柴崎友香さん、津村記久子さんあたりがお目当てだったのですが、久々に読んだ金原ひとみさん、はじめての高橋弘希さん、牧田真有子らの一篇も印象に残りました。武蔵野図書館より。
仕事と家庭は両立できない?:「女性が輝く社会」のウソとホント
- 作者: アン=マリー・スローター,篠田真貴子(解説),関美和
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2017/07/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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こちらも武蔵野図書館より。著者は国務長官時代のヒラリーの下で働いたこともあるある種の「スーパー・ウーマン」。「女性が輝く社会」の名のもとに、仕事も、子育ても、夫婦仲もすべてを同時に手に入れなくてはならない空気に、いやそれ無理やでー!と警鐘を鳴らす。
北海道から帰っての数日は涼しかったけど、暑さも湿気もぶり返してつらい。高校野球は何となく近江と金足農業の試合で冷めてしまった。当事者も巻き込んだ暴力的な感動の再生産、みたいなことを思ったりしたけど、そこに加担してたんだから何とも言えない。
仕事もなかなか大変です。新しいことのそうじゃない、ちゃんとして感と、それが自分に跳ね返ってこないようにと思いつつ。
【読書】「男らしさ女らしさ」を超えてコミュニケーションしていくためにーたたみかた 第2号
「30代のための新しい社会文芸誌」を掲げる「たたみかた」の第2号が出ました。
- 作者: 三根かよこ,小原信治,柏木ハルコ,ネルノダイスキ,神保賢志,伊藤守,柴幸男,竹沢うるま,千野帽子,永井陽右,長津結一郎,二村ヒトシ,藤田一照,ミネシンゴ
- 出版社/メーカー: アタシ社
- 発売日: 2018/08/07
- メディア: ムック
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2017年4月の創刊号から1年3か月ぶり。今回の特集は「男らしさ女らしさ」。ぱっと字面だけを見たときは少しクエスチョンマークが浮かんだのが正直なところだったけど、「特集のはじまりに寄せて」を読んで納得。日増しに高まる「男/女」について語ることの難しさについて、編集長の三根さんの中に芽を出した「怒り」に向き合うことからはじまったという。そして、それも含めた「怒り」「固有の私」「別個と同体」という3つの言葉が今回の特集の柱なのだ、と説明する。
「怒り」の中身や諸々の向き合いこそがこの特集の中身なので、そこはぜひ本誌を読んでみてほしいのだけれど、僕自身は「性別」というものが(もちろんLGBTも含めて)これほどまでに近く、あらゆる個人にひっついて、あらゆる文脈に付随して、ある種ミクロな話なのに、大文字で「男は~」「女は~」、あるいは「性別とかじゃなく~」というスケールになってしまう。場合によっては、顔の見えないもの同士でのぶつかりになってしまう。そんな状況への違和感やもどかしさと、それを超えるためのコミュニケーションの「ありかた」みたいなものを探す特集なのだと読んだ。前回の福島特集に引き続き、センシティブだけど、目を背けてばかりもいられないところだと思う。私と社会、私と他人でどう距離を取るのか。向き合うのか。私もまた社会の一員でもあり、誰かにとっての他人でもあり。
前号に引き続き登場のソマリアで活動する永井陽右さんの話は、突き付けてくるものがある
あえて「ありかた」みたいなもの、としたのは、「ありかた」とだけ言うと何か正解があってそこにたどり着こうとするもののようなニュアンスが出るかもしれないと思ったから。でもここで行われているのは、何か唯一の正解を探そう、というものではなく、自分はどんなスタンスでいるか、いたいかを探すような感じ。
「私とあなたは違う生き物。違う感じ方をする。そのうえで、どう対話しましょうか、コミュニケーションしましょうか」という価値観は、これだけコミュニケーションの手法にあふれ、様々な背景を持つ人たちが交わり、言葉や思想を超えた関係ができている世の中で、1つ、ベーシックなものだと僕は思っていて(もしかするとそこには「宗教の無さ」みたいなものがあるのかな、と考えたりはする)。創刊号に『「たたみかた」は方向性』だという話があったけれど、「向き」が個々のインタビューや記事それぞれの1つ1つとは別に、通奏低音のように示されているように思う。ネットでは目立たないのかもしれないけれど、一定数その方向性にシンパシーを感じる層がいるなら、なんかちょっと勝手に救われる気分でもある。
そして、その方向に向かって進んでいくことの困難・・・例えば価値観を異にする人とのかかわりもそうだし(それこそ「多様性を認めない人の多様性」なんて話も出てくるけれど)、自分がその姿勢を持ち続けることも意外と難しいのもある。そこを強引にがんばろう!とするのではなく、真摯に向き合ってる感じがとてもいいなぁ、と。
実売までは伺い知れないけど、前号よりも64ページ増(140p→204p)、表紙も特殊紙に金の特色印刷と、想定もより豪華に(amazonのサムネだと伝わらないけど…)なっているあたりが、実は手応えだったり、届いている実感だといいなぁ。
【やってみた】考えながら飛んでいたのでは遅いので - Jump one
巷で話題の暗闇フィットネス(が正しいのかな?)。ボクシング、自転車など様々なバリエーションがありますが、トランポリンを使うのが Jump one です。
(後から思うと的確に特徴がまとまった写真)
暗闇×音楽×照明のハイテンションな45分間エクササイズが日常のストレスを吹き飛ばし、ダイエットやシェイプアップ効果を期待できます。
(公式HPより)
要はクラブみたいなフロアに個人サイズのトランポリンが並ぶ中を、45分間音楽に合わせていろんな形で飛んでいるうちに、がっつり汗もかきながら、筋肉痛にはなりづらいのにインナーマッスルも鍛えられて、しかもダンサブルなミュージックに合わせて飛ぶのはストレス解消にもぴったり!というモノです。
大きく Rythm Jump、Dance Jump、Boot Jump の3つのプログラムに分かれており、その中でもレベルが1~3まである。Rythm Jump が基本で、あとはその名の通り Dance Jump になるとそれっぽいステップが増えたり、Boot Jumpになるともっとエクササイズ要素が強くなったりする(らしい)。
で、こちら全国9か所にスタジオがあり(2018年8月現在)、場所によっては女性専用だったりするのですが、吉祥寺は男性も可、ということで、体験レッスンに行ってきました。
中は基本撮影禁止なので、写真は無く、もう言葉で伝えるしかないのですが、地下1階の入り口からもう1つ階段を下りてスタジオに入ると、そこは戦いのステージへ続く控室的な雰囲気。すでにロビー中央のロの字型のベンチには準備を整えられた方、静かにウォーミングアップをする方もいつつ、受付で体験レッスンである旨を名乗ります(会員だと、カードをタッチするだけで受付完了なようです)。
その場でバスタオルとフェイスタオル、お水、そして体験レッスン受講者であることを示すリング(ホワイトバンドみたいなやつ)を渡され、更衣室へ。男性側は奥にシャワーも2台あって非常に清潔。ちなみに別途料金でウェアも借りれますし、靴下も履いた状態でやるのですが、滑り止めの付いた専用靴下も売ってくれます。手ぶらでいっても大丈夫。
そして着替え終わってロビーに戻ると、インストラクターの方から声をかけられ、挨拶とともに参加のきっかけや日頃の運動習慣などの確認とともに、簡単な内容の説明があります。この時はそこまで勧誘はされないのですが、その人の体力的な部分なども少し見極めがあるのかもしれません。まぁ中肉中背とはいえほとんど運動習慣がないと答えた私はどんな風に見えたのかはわかんないですが……。
そして開始のおよそ10分前、ついにステージの幕が上がり、トランポリンが並ぶスタジオへ入ります。どの位置のトランポリンで飛ぶかは事前に予約時に選ぶことができて、私は隅っこのほうへ……自分の運動神経を思うと、いくら暗くてもインストラクターさんと誰かの視線の間に立つなんて、怖くてできません……。
さて、自分のトランポリンに到着したら、まずは音楽が無い状態で動きの確認が入ります。私が参加したのはベーシックなRythm Jumpの簡単なやつだったので、基本のジャンプから始まって4種類ほど。このとき、インストラクターさんとは別の方も1人いらっしゃって、飛び方をレクチャーしてくれます。
すでにリズムが怪しい感じがあったのですが、飛び方のポイントとしては身体全体で飛び上がるのではなく「腹筋を使って下半身を持ち上げる感じ」らしい。いわゆる冒頭の写真にあったような、アレです。この飛び方をすることによって、インナーマッスルが鍛えられ、ふくらはぎとか太ももとかの筋肉痛にもなりにくいらしい。姿勢改善にもつながるんですって。確かにね。
レクチャーは5~10分ぐらいでしょうか。「私もだんだん日本語を減らしていきますから、皆さん動きを見ながらついてきてくださいねー」というちょっとひっかかる説明のあと、インストラクターさんの立つステージにあるPA卓が操作され、いよいよ照明ダウン、音楽が始まります。
そしてスポットライトが当たるステージ、レーザーのような照明が室内を照らし、ミラーボール…は無かった気がするけど、とにかくミュージックスタート!!と思ったらいきなりレクチャーになかった動き!そんな!!えっ、あっ、と戸惑いつつ、ついていくのですが、その時点でワンテンポ遅れている感じが分かります。
そこから45分。様々な曲のテンポに合わせて飛びます。途中でダンベルを使ったエクササイズもありました。はじっこのほうにしたので、インストラクターさんがちょっと遠いですが大丈夫。壁の鏡がうまく反射してどんな動きをしているかはよく見えました(逆にこちらのほうはあんまり見えなかったらしい。インストラクターさん的には反省ポイントだったようですが、私は一安心……)。が、いかんせん自分のセンスのなさを感じるのは動きを頭で考えながら飛んでしまうこと。慣れもあるんでしょうが、なんとなく全体のテンポからも遅れ、みんなが4回飛んでるところ、なんとなく3回ぐらいしか飛べてないような感じです。そんな感じで徐々に高まるフロアのテンションに比べて妙にあれこれ考えてなってしまっては、「Are you ready ⁉」 と言われても「Hoooo!!」と声を上げ、レスポンスするよりも、「(´・ω・`)知らんがな」というツッコミが勝ってしまいます。いかん、これではストレス発散ができない……。
そう、考えながら飛んでしまった時点で負けなんです。周りなんか気にせず、うまく飛べてることを気にするよりも、場の空気と一体になってすべてを昇華する……!そんな気持ちで飛ばなければ。もちろん冷静に分析すれば、テンポが遅れてるのはレクチャーにあったように下半身だけを持ち上げることができず、全体で飛んでるから1ジャンプの時間が長くなってしまってるからでしょう。会員になってる人にも聞いてみたけど、こればっかりは慣れもあるので、いきなりやるのは無理だと割り切って、気にせず飛ぶべきなんです。でも、負けてしまいました……。終わった後、シャワーを浴びる前のアンケートを記入しているときも一生懸命勧誘されましたけど、この一体感についていけなかった挫折感を思うと、俺、来週も飛ぶよ!とは言えなかった……。
実際のところ、周りも暗いし、みんなインストラクターさんを見て必死に飛んでる中で、周りなんか気にしてる余裕もなさそうです(実際、周りがどうこうというよりは自分のことで精一杯でした…)。だから何も心配することなく、この瞬間を楽しめばいいじゃない、というインストラクターさんの声が聞こえるようですが、もうこれは自意識の問題です。おそらく。あの一体感に入れる自信が無いです。
よってもって、私は家で自分と向き合いながら、日々筋トレやストレッチをちゃんと続けようと思ったのでした。いいとか、悪いとかじゃなくて、向き不向き。自分を知れる、いい体験でした。
ちなみに筋肉痛はほとんど無かったです。ちょっと心地よいハリがあるぐらい……あとなんとなくお腹に力が入って、姿勢を気にするようになったというか、だからホントに続けていけば効果はあると思うんですよ!会費もそこそこするので、お金と、自意識に余裕のある方はぜひ。
【読書】生活の発見/この眼鏡はいつからつけていたんだっけ
大学の講義の1回目に、言葉の歴史も含めた辞書載っている「History」という言葉をスタートに、「物語」 について考える、みたいな話があったのを思い出す。「三千年の歴史の中から学ぶことができないものは、その日暮らしの生活を送っているに過ぎない」というゲーテの言葉を帯に冠するこの本は、まさに歴史を振り返りながら、今自分たちが物事を見ているフレームを見つめなおす、発見の本。
スタートは「愛」についてから始まる。曰く、古代ギリシアには6つの愛があったという。それは情熱や欲望を伴う「エロス」であり、友愛と訳される「フィリア」であり、遊びを伴うような「ルードゥス」、成熟した愛である「プラグマ」、慈善の愛としての「アガペー」、そして自己愛というべき「フィラウティア」と続く。今話しているその「愛」は果たしてどの「愛」なのか?
決して厳密に歴史を読み解いていく、というよりは、現代の私たちが抱える感覚・問題意識に近いところで、それがどう形成されてきたのかを、歴史と地域を超えて、紐解いていく、ある種エッセイに近いような本。歩く辞書のような、博学な歴史学者の人が「じゃあ今日はこの話を考えましょう」と静かに暖炉の前で話しているのを聞いているような感じだ(読んでいた時期はもうほんとに暑くて暑くてたまらない時期でしたが)。
自分が見ている世界を見るために、いつの間にかつけていた眼鏡の度を確認するために、歴史のはしごを上る。そして巨人の肩の上に立つための一冊。
【映画】ザ・スクエア 思いやりの聖域/自分だけ贖罪しようなんて許さない
カンヌ映画祭、パルムドール受賞、スウェーデンの社会風刺映画。スウェーデンの映画ってそう言えばイメージ無い。
現代美術館のチーフ・キュレーターであるクリスティアンは、シュッとした感じのナイスミドル的な雰囲気。美術館でレイヴパーティーみたいなのを開いたりして、痛飲したり、女性と行きずりの関係になることもしばしば。そんな彼が次の展覧会で展示すると発表したのが映画には登場しないアリアスというアルゼンチンの作家による「ザ・スクエア」。地面に描かれた正方形の作品で、その中は「思いやりの聖域」。「すべての人が平等の権利と義務を持つ」とされる。
ある日街中でいきなり助けを求める女性と、それを追いかける男性の騒ぎに巻き込まれて財布とスマホを盗まれたあたりから、彼の運命は暗転していく。
GPSで突き止めた犯人の住むマンション。全戸に脅迫めいた手紙を配りましょう、なんて部下のアイデアを採用し、無事帰ってきたのだけれど、当然関係ない家にも配ったもんだからそれをきっかけに波紋が起きたり、その波紋に巻き込まれた中でよく確認せずに通した展示会のPR企画は炎上マーケティング。パーティきっかけで関係を持ってしまったジャーナリストは家にチンパンジーを飼う変わり者で、美術館のパーティーでは野生のゴリラ的なパフォーマンスをしているアーティストがが何の前触れもなく限度を超えたパフォーマンスを行って……と、まぁ色々起きていって…という話。
一つ一つが連鎖していって、細かなところでいろんな問題が浮き彫りにされる。わかりやすいところでは動画の炎上マーケティングの話だったり、いろんなきっかけになる物乞いだったり(スウェーデンにはあんなに物乞いがいろんなところにいるんだろうか)、別れた妻は出てこないし、娘はなんか問題抱えてそうだけどはっきりしないし、そもそもザ・スクエアの作者も出てこない。謝罪のビデオは届いたのかわからないし、とてもじゃないけどそんな会見ですべてが収まるレベルの炎上じゃないけどそれ以上は描かれず、すべては回収されきれないまま、クリスティアンの贖罪がなされないまま、話は終わる。まるで、あなただけ救われようなんてダメなんだからね、と言わんばかりに。
舞台、主人公の仕事こそ現代美術館のキュレーターではあるけれど、描かれているところはだいぶ実際の美術館とは違うんじゃないの?という感じもあって、あくまでもメタファーなんだろうな、という感じ。
それはつまり「現代美術」を「美術館」で楽しむ余裕があって、赤ん坊を抱えて打ち合わせに参加できて、ショッピングモールで両手にナイキやCOSの買い物袋を抱えたりできるような人との分断。
フィジカルには同じ場所にいるのに実際には見えない線が引かれている。それこそ彼らは、スクエアに囲まれているのかもしれないし、スクエアに閉じこもっているのかもしれない。そこから何かのきっかけで足を踏み外せば、二度と戻れないのかも。
【読書】さよなら未来/あるいは変化を志向する勇気について
電撃的な退任自作自演インタビュー、読みたかった物流特集が出ないことがわかってから約4か月。「ついに出た」という感じ。
「エディターズ・クロニクル2010-2017」のサブタイトル通り、過去に執筆されたものの集大成、なんだけれど、例えばWIREDの序文でも雑誌の時のデザインとこの本のデザインとでは見え方も変わる。肝心の内容は、詳細まで落とし込むとテーマは多岐にわたるけれど、通して浮かび上がってくるのは、「若林恵」という人の勇気なんだろう。
復活後のWIREDもテーマによって買ったり、買わなかったり、dマガジンで読んだり、ぐらいだったわけですが、Twitter見てる限り、そういう人もけっこう多くて、そういう人ほど「なんだか読まなきゃ」ってなっているパターンが多い気がする。
読み終えたのはもう先週の話で、レビューもさっき挙げたような人がたくさん書くんだろうなぁと思ったりしていたのだけれど、おりしも、竹熊さんのライター本をきっかけにしたのか、日本のネット住民の年齢層がだいぶ上がってきたのか(少なくともインターネットで「テキスト」を嗜好する人の年齢はだいぶ上がってそうだ)、40代を超えてから変化をすることのしんどさみたいなのをぶっちゃけるものをいくつか目にすることがあって、あぁもしかしてこういうことなのかな、という気がしたので、それはまとめておこうと思って書いている。
20代から30代前半の頃は、「ここで我慢してがんばっておけば、この先、きっとプラスになる」と自分に言い聞かせることができた。
でも、40を過ぎると「ここで我慢したって、もう、天井は見えてるじゃないか。もう、この先にいいことなんてそんなにないんだから、言っちゃえよ、やっちゃえよ」という、自分の内なる声が聞こえてくるのです。それと「いや、ここでレールから外れたら、お前はもうどん底まで落ちていくだけだぞ。家族にも迷惑がかかる。なんとか踏ん張れ」という抑制の声が、つねに闘っている。
自分はまだ30代も3分の1を超えてもいない状態ではあるのだけれど、何となくこのブログに書いてある感じはわかるところがある。話は飛んじゃうけど、「子供はいいよー」みたいな話も出てくるのも、成長していく姿、できないことができるようになるのを間近に見れるよろこび、快楽みたいなのが背景にある気がする。
話を戻して、そういうこの先の自分をめぐる危ういバランスに気づいたとき、自分を含めてたいていの人は、違うベクトルでがんばるか(例えば子育てとか)、気づかないふりをするか、なんとか踏ん張るか(知らんふりするのもこの枠かな)、という話になると思う。
で、この本にまとめられているのは、そういう気持ちのときに踏ん張るどころか、「いや、でもさぁ」と踏み出してきた記録なのだろうと思うわけです。あるいは、そんな気持ちにすらなってないのかもしれない。実際に若林さんと会話をしたことがあるわけじゃないから、そこまでは分からないけど。
なんとなくこの先……みたいなことを考えたときに、東京で消耗するのが嫌になって田舎に行ったり、ベンチャー立ち上げて一旗上げてやる、でもない。YouTuberで好きなことで生きてくわけでもない。真摯に自分のやることと向き合って、流すことをやめて。そういう現実と向き合ってく勇気。そしてそれは周りのそういう人を応援していく勇気でもある。
なにか新しいこと、人とちがったことをするには勇気がいる。それは、なにか新しいアイデアをもった人だけに限らず、それをともにつくったり、それを伝えたり、あるいはそれを教示する側にも、勇気を強いる(中略)「新規事業開発」の部門についていえば、おそらく一番勇気を必要とするのは部下の勇気を評価する上司だ。冒険を尊ぶ社会では、みなが冒険をしなくてはならない。勇気には、勇気をもって応えよ。
(P281 「音楽にぼくらは勇気を学ぶ」)
自分は今、勇気を評価してもらう立場にあるのだろうと思うと、それに賭ける勇気を持ってもらえるように、相手が理解できるようにその根拠を示さなくてはならない。もし自分が将来、そういう立場になったときは、その勇気を認めることをためらわないようにしたいとも思う。
とはいえ、こういう気持ちをいつも持ち続けることはなかなかできないもので。ゆえに若林さんの記録は尊くて、ゆえに自分は折りにふれてこういう本で勇気をドーピングするんだろう。
それこそ、いつでも未来に驚かされていたいから。
※物量的な大変さももちろん、編集者の本を編集するという、思いっきり自分を試される行為を経てこの本を世に出してくれた、編集担当の岩波書店・渡部朝香さんの勇気も尊い。
【映画】おとなの事情/罪を犯したことのない者だけが石を投げよ、的なイタリア映画。
タイトルは、見終わって思い起こした聖書の一節から。
同じゲームをできる人とだけ、この映画を見よう。
できなければ、一人で見よう。
ある夜、幼なじみたちがそのパートナーを連れて、食事会の席に集まった。新婚カップルのコジモとビアンカ、倦怠期の夫婦レレとカルロッタ、思春期の娘との確執を抱えているエヴァとそんな妻と娘の間に板挟みに合って悩むロッコ、そして最近“彼女ができた”が、ひとりでやってきたバツイチのペッペ。秘密なんてない、と豪語する気心の知れた7人は、ちょっとしたことがきっかけである携帯を使った“信頼度確認”ゲームを始める。ルールは、それぞれのスマートフォンをテーブルの上に置き、メールが届いたら、みんなの前で開いて読み上げること。電話が鳴ったら、スピーカーフォンに切り替えて、みんなの前で話すこと。
やがて、電話が鳴り、メールが届き始める。ひとつコールが鳴る度に、暴かれていくそれぞれの秘密。妻に内緒で心理カウンセリングに通っていること、豊胸手術を受ける予定があること、浮気、そして性癖まで。たわいない遊びが、長年培ってきた友情と絆に波紋を投げかける……。
スマホに隠された“極秘の事実”が明らかになった時、夫婦、親友の信頼関係はどうなってしまうのか?
と、いうわけで、いかにも今日らしいテーマ設定で行われる、シチュエーションコメディみたいな、舞台にもなりそうなストーリー。
月食の夜に集まった7人。浮気だなんだの話であれば、スマホじゃなくても何かのきっかけでこの手の話はありそう。ただ暴き出されるものがそこで終わらない。
夫婦間の事情もそうだけど、セクシャリティの話も入ってくるのが、言い方が良くないかもしれないけれど、今日性のあるテーマ。終盤に出てくる「言えるわけないだろ、2時間ゲイだっただけでこの扱いだ」という一言は、自分もその立場じゃなければどうふるまっていたかわからない、と思うと、自分の胸にそっと手を当てたくなる。
スマホという、パブリックとパーソナルを行き来する存在。それをきっかけに、すべてがオープンになる世界って本当に幸せなんだっけ、という問いも投げかける。
張られた伏線をうまく回収しながらなだれ込むエンディング。賛否両論あるかもですが、この含みを持たせる感じが、いいと思う。